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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

文系人間の方が傲慢な気がする

いま話す話はあくまで「一般論」、「平均的な話」ですから、個別の例外などを逆手に感情的な反論をしないで欲しいのですが、ざっくり言うとサラリーマンや政治家、経営者、公務員といったいわゆる「文系人間」のほうが研究職などの「理系人間」に比べて傲慢な気がします。

(そもそも「傲慢か否か」など所詮主観ですから、「そんなエビデンスないじゃないか」などという当たり前の反論はしないでいただきたい。「私の感覚」であるのは大前提です)

やはり、「人間界」がフィールドの人間と「自然界」がフィールドの人間ですと、「わからないことに対する畏敬の念」の程度が全然違うように思います。

宇宙は広大です。

太陽系で起きている現象で、我々がコントロールできることなど本当に小さい。

自然科学をやっていれば「自然に対する畏敬の念」を感じずにはいられないと思うのです。

それに対して、政治や経済といった現象は、難しいかもしれませんが「所詮人間がやっている事」。

もちろん政治や経済でも「わからない」事は無限にありますが、地震、宇宙、遺伝子について「わからない」というのとちょっと質的に違うと思います。

よく「人間は難しい」と言いますし、「人間ほど難しいものはない」のかもしれませんが、いくら人間心理が難しくても、「地震の予知が不可能であるという途方もなさ」とはやはり質的に違うでしょう。

やはり自然界に比べたら人間界で起きていることの方が圧倒的にコントロール可能なのです。

そして、コントロール可能だからこそ文系人間は傲慢になるのでしょう。

近代的な発想で行けば、政治や経済ですら基本的には人間がコントロール可能という前提で我々の社会は運営されています。

実際、政治や経済でもわからない事は無限にありますが、わかることとわからないことを比較したときに、自然科学より圧倒的に「わかること」、「コントロール可能なこと」が多いでしょう。

だから、政治家も公務員も大企業の社長も思い上がっているのでしょう。

私はたまたま学部時代に非常に優秀な自然科学者の先生とお話をする機会がありましたが、「統計的に有意な差」と言えるレベルで法学部の教員より理学部の教員の方が圧倒的に謙虚でしたね。(10人以上の平均なんで自分の中では「たまたま」ではないと感じています)

まぁ、考えてみたら「法学部の発想」というのは「ルールによって社会をコントロールできる」という大前提ですから、「文系」というより「法学政治学系」に特に強い傾向なのかもしれませんが。

こんな感じで、文系人間と理系人間を比べてみましたが、繰り返しますけれども、あくまで「一般論」なので、「あの政治家は謙虚だぞ」といった反論はしないでいただきたいです。

なお、ここで言っている文系人間と理系人間というのは形式的な出身の話ではありません。

文系学部出身でも自然科学に関心があり、自然科学的な発想でものを考えている人間は「理系人間」ですし、理系学部出身でも年収や出世などのドロドロした人間界の雑事に翻弄されているサラリーマンや公務員は「文系人間」ですから。

要は「発想」と「生き方」ですね。