読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

負けて悔しいこと

人生負け続けてる私ですが、考えてみると「負けてすごく悔しいこと」と「負けてそんなに悔しくないこと」があるような気がします。

ここから先は完全に私の主観ですが・・・

長距離走で負けてもそんなに悔しくありませんが、短距離走で負けるのはなんか悔しい。

足の長さで負けるのはそんなに悔しくないですが、3本目の足(男性限定)の長さで負けるのはなんか悔しい。

語学力で負けるのはそんなに悔しくないですが、数学やSPIで負けるのはなんか悔しい。

サッカーで走る力で負けるのは悔しくないですが、ボールコントロールで負けるのは悔しい。

(実は私リトルリーグでピッチャーをやっていましたが)、変化球の巧拙で負けるのは悔しくないですが、ストレートの速さで負けるのはなんか悔しい。

打率で負けるのは悔しくないですが、飛距離や長打力で負けるのはなんか悔しい。

何か思いつくままに書いてみましたけど、何か共通項があるのかちょっと考えてみましたが、いまいちよくわかりません。

無理矢理共通項を探ると、「先天的な要素」が強いか否か、でしょうか。

しかし、ストレートの速さも変化球の上手さも先天的ですし、足の長さもあっちの長さも先天的です。

「先天的な要素が強いか否か」は要素の一部ですが、全てを包括する理由にはなりません。

あともう一つの仮説としては、「社会が『かっこいい』と評価する分野の勝ち負けの方が気になる」というものが挙げられます。

やはり野球なら速球こそが王道であり、サッカーならボールコントロールこそが王道であり、勉強なら物理や数学こそが王道なのでしょう。

これが今のところ一番正しそうな仮説です。

同じように負けても、凄く悔しいこともあればたいして悔しくないこともあり、人間心理とは面白いですね。