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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

好きという才能

「好き」というのはとてつもない才能です。

もちろん「下手の横好き」というのもありますが、一般論で言えば好きなことほどどんどん伸びます。

究極的に人はなぜ生きるか、と言えば好きなことをやるためでしょう。

もちろん好きなことをやるために嫌いなこともやらなくてはいけないのですが、主従を間違ってはいけません。

やはり、人は好きなことがしたいのです。

しかし、日本社会というのはやっかみ社会で、「私は好きなことをやって幸せです」などと正面切って言えない息苦しさがあります。

私のような、ある程度好きなことができてそこそこ時間的にも金銭的にも余裕がある人間などは「面白くないやつ」であり、「まだまだ人生わかっていない」、「まだまだ苦労が足りない」などとオジサマたちからは批判されます。

私に限らず、一般的に、入社直後に会社を辞めると言うと「あと3年はがんばりなさい」と言われます。

状況によりますが、明らかに職場環境や上司との関係などが良好でないのならば、あと3年がんばっても本質的には何の解決にもならないでしょう。

我慢することや努力すること自体は何一つ尊いことではないのですが(それがさらなる上位の目的に繋がってるから意味があるだけです)、日本社会というのは、ただ我慢をすることや不条理に耐えることをなぜか礼賛するのです。

その典型が「上司が帰るまで帰らないやつこそ優秀」、「残業は美徳だ」という謎のフォークロアです。

勉強にしても、本当は好きなことを極めている尖った人間の方が社会に出て有用なのですが、「オール5」が無駄に重宝されるのが日本社会なのです。

就職で私立大学よりも上位国立大学の学生が評価されるのも「嫌いな科目からも逃げずに努力した」かららしいですが、この考え方も一長一短です。

学者や官僚は別ですが、それ以外の仕事に就く人に関しては、別にまんべんなくあらゆる勉強ができることに大して意味があるとは思いません。

むしろ好きなことを追求して、徹底的に尖っている人間の方が社会においては非常に有用です。

社会に出たら何かを自分一人でできる必要などさらさらなく、オール5の人間が10人いるよりは、1つのことに特化した人間が10人いる方がよっぽど有益です。

オール5のドグマというのも日本社会の特性を表しているように思います。

好きなことをやる。

そのためにちょっとは嫌なことをやる。

これが正しい思考回路ではないでしょうか。

繰り返しますが、ただ単に嫌なことや不条理に耐えるのが美徳というのは戦時中の価値観であり、支配者や上層部の人間にとって都合が良い価値観であるという事はいくら強調しても強調しすぎる事はないでしょう。

騙されてはいけません。

好きなことをできる限りやりましょう。