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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

経験の一般化について

私くらいの年齢になると、子供が修学する人も多いのでわりと子供の教育の話なんかをする場合が多いのですが、人間は自分の経験を極端に美化するか極端に悪く描くかのどちらかのように思います。

田舎で育って今社会で活躍していたり自分なりに幸福であれば「子供は田舎で育てたほうがいい」と「極端な一般化」をします。

逆に田舎で育ってあまり高い教育を受けられなかったことが原因で今活躍できていなかったりすると「子供は都会の私立に入れるべきだ」とまた「極端な一般化」をします。

およそ人生の経験というのはトレードオフというか、ある方向を選択したらもう一方の選択肢は取ることができません。

都会育ちの経験と田舎育ちの経験を両方味わえる人間は原則いません。

体育会系と文化系の両方を高いレベルで経験することはできません。

ですから、自分の経験を一般化してしまうのはやめた方が良いのでしょう。

大体それなりに(俗的な意味で)人生うまくいってる人は、自分の人生を肯定するような一般化をします。

名門私立大学の附属校出身で、体育会系でブイブイ言わせてたいして勉強しないで商社や広告代理店に就職したような人間は、「勉強して東大とか医学部行ってどうするの? しょーもな」と自分の人生を肯定するような一般化をします。

一方で、あまり人生うまくいっていない人は、自分の人生を極端に否定するような一般化をします。

例えば、所得が低い人と結婚して今辛酸をなめている女性は、「やっぱりお金持ちと結婚する人生が幸せだ」と変な一般化をします。

逆に、所得は高いけど遊び人で「チンコに胴体や手足が生えてる妖怪」と結婚して苦しんでいる女性は、「やっぱりお金はそこそこでいいから誠実な人と結婚する人生が幸せだ」とこれまた極端な一般化をします。

しかし、当たり前ですが人生には様々な要素があり、表面的な部分だけをすくい取って「こういう人生が良い人生だ」と一般化することは間違いです。

人間は極端な一般化を好む動物ですから、自戒の念を込めて。