読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

学力に関する議論の難しさについて2

昨日の続きですが、学力系の議論というのは非常に難しいです。

なぜならば、現代社会は知能が高いということが過剰なまでに個人の生の可能性を決定づけるからです。(別に知能や学力が高いことに普遍的な価値があるわけではなく、地理的・歴史的な「たまたま」なわけですが。知能が高い人間も「運良くいい時代に生まれた」とそこは謙虚になるべきです。)

きれいごと抜きに、ただ知能が高いか低いかというだけで生涯賃金が億単位で違います。

だからこそ学力や知能の話というのは「タブー」なのです。

しかし逆説的なことに、ほとんどの人間はそれらに関して優越感や劣等感を持っているがゆえに非常に皆さん関心があります。

それはサンデー毎日やプレジデント、東洋経済のタイトルを見ればわかるでしょう。

「使える大学」
「息子・娘を入れたい高校」
「本当に強い大学」
「学力が伸びる勉強部屋」
etc

ベストセラーの『言ってはいけない』の著者も言っていますが、「あの子は親に似て音痴だ」とは言ってもいいのに「あの子は親に似て学力が低い」とは文字通り「言ってはいけない」のです。

それは知能や学力というものが現代社会では過剰なまでに評価されているからです。(cfダニエル・ベル)

本当に大切な事は「言ってはいけない」のです。

旅行先の温泉で卓球をやって「鈴木は卓球下手だなぁ、本当に運動音痴ww」とからかってもネタになります。

しかし、クイズ番組を一緒に見ていて「鈴木はこんなのわかんないだろう、明治だもんなww」なんて言ったら冗談になりません。

歴史などの話をしていて「田中は日大だからローマ帝国の話なんかわかんないだろう」なんて間違っても言えません。

AKBの話をしていて「山田はAKBとか興味ないからわからないだろう」とは言ってもいいのに、です。

それは「卓球が下手」、「AKBを知らない」と「学力・知能が低い」の持つ意味が現代社会ではまるで違うからです。

運動音痴を馬鹿にされても本気で怒る人はほとんどいないでしょうが、それは現代社会において運動ができてもできなくてもほとんど社会生活に影響がないからです。

しかし、知能や学力が低いことを指摘されるのは特に男性にとっては「最大級の侮辱」なのです。

ペニスが小さい、身長が低い、稼ぎが悪い、と並んで男性が指摘されて一番屈辱的なトピックでしょう。

だから「言ってはいけない」のです。

知能や学力の話がしにくいというのは、逆説的にいかに現代社会において知能や学力が不均衡なまでに評価されているのか、の証左なのでしょう。

「言ってはいけない」というタイトルはそういった意味で本当に絶妙でしたね。