読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

進歩は対数

文明レベルで考えたときに、人類史の進歩は対数的と言えます。

最近の技術や情報の進歩の早さを礼賛して「昔100年、1000年で起きたことが10年で起きる」と言う人がいます。

しかし、これも捉え方次第です。

人類史の進歩をマクロに見たときに、実は最近起きている進歩の方が「トリビアル」だと私は思っています。

例えば、「電話がない状態」で電話を発明したことはとてつもない偉業だと思います。

リアルタイムにものすごく離れた人間が会話できるというのは、電話が発明された時代の人間から見ると衝撃が走るほどの進歩だったと思います。

電話から携帯電話、スマホ、メールという進歩はたしかにすばらしいと思いますが、どの段階の進歩が最も凄まじいそれかと言えば、間違いなく「電話がない状態から電話の発明への進歩」でしょう。

よく、人類史の三大革命は農耕革命、産業革命、IT革命と言われますが、これもやはり農耕革命の衝撃がダントツで凄まじく、それに比べたらIT革命の衝撃など鼻くそみたいなものです。

ホモサピエンスにとって、自然に働きかけて能動的に食物を生産するというのは「動物から人間へ」というとてつもない飛躍を意味しています。

歴史家のカーも、「人間は時を意味のあるまとまりと意識した瞬間に歴史が始まる」といった趣旨のことを言っていますが、まさに農耕が始まったことにより、種まきや収穫といった「意味」をわれわれは時間の中に見出したのです。

農耕革命はとんでもないブレイクスルーでしょう。

農耕革命により圧倒的に人口も増え寿命も伸びました。

この凄まじさに比べれば産業革命もIT革命もタカが知れています。

スマホやiPadあたりもミクロに見たらすごい発明のようですが、農耕革命や電話の発明ほどの凄まじさはないでしょう。

私が考える「凄まじさの基準」は「それがある世界とない世界の違い」です。

スマホは便利ですが、スマホがなくてもそこまで世界は変わりません。

やはり進歩というのはある種対数的なんでしょうね。

我々はあくまで人類史全体で見ると「ディティール」のレベルで競っているのです。