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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

金銭への一元化?

東京の拝金主義を揶揄して、「価値の一元化」、「金銭一元化」と言う方がいます。

しかし、よくよく考えてみるとお金というのはそれ自体紙切れで、交換して初めて役目を果たします。

お金を食べることもできなければ、お金を着ることもできないし、お金を運転することもできません。

あくまでお金というのは交換してこそ価値があるものなのです。

お金というのはババ抜きに似ていて、地球最後の日にお金を一兆円持っていても何の意味もありません。

そのように考えると、「拝金主義」、「金銭の価値一元化」という現象はなかなか不思議です。

お金自体は「目的」ではないのですが、ある程度何とでも交換ができるがゆえに今度はお金自体がジョーカーのようなある種至上の価値を持つからです。

ある程度何とでも交換できるということは「一元化」ではなくむしろ「多元化」とすら言えなくもない気がしますが、ジョーカー的に何とでも交換できると今度はそれは一元化(至上の価値)するというのもなかなか興味深いですよね

昔の年貢なら、「米一元化」と言って差し支えないでしょうし疑問はありませんが、「金銭一元化」というのは不思議な現象です。

私はお金が欲しいと言う人に「お金は紙切れだけどお金を使って何がしたいの?」とたまに聞きますが、あまり明確な答えは返ってきません。

「そりゃお金があったら何でもできるじゃない」、「お金があれば困らないじゃない」といった程度の解答しかありません。

もちろんあまりにないと困るのは大前提として、そこまで生活に困っていないのにもっともっとお金が欲しい人が「これがしたいからお金が欲しい」という明確なビジョンがなく、「そりゃお金があったら何でもできるじゃない」、「お金があれば困らないじゃない」と言い放つのは私には疑問で仕方ないです。

「何と交換したいのか」が明確じゃないのにお金がどんどん欲しいというメンタリティーは病人のそれです。

永遠にお金が目的になって、結局人生で何がやりたいのかよくわからないまま死んでいくんでしょう、たいして興味がない高級車やたいして欲しくないブランド服とか俗的な消費にうつつを抜かしながら。