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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

「自分と非自分」

今日たまたま人と議論していた話なのですが、「自分」と「非自分」を分ける境界線はよくわかりません。

食事中の方には申し訳ありませんが、ウンチは紛れもなく自分の体から出たものです。

しかし、自分から出たといっても子供を愛するように通常ウンチをいとおしく思いません。

どうやらウンチは「自分」じゃないようです。

では、爪や髪は?

少なくとも私は自分の爪や髪が全て入れ替わっても自分は自分のような気がします。

ということは、爪や髪は「自分」の中核的要素ではないようです。

では、腎臓や肝臓を入れ替えたらどうでしょうか?

やはり自分は自分のままな気がします。

(移植手術をしたら人格が変わったという話も聞きますし、身体性を重視する議論をするとこれは五分五分な気もしますけど)

では手足はどうでしょうか?

義足を入れてもやはり「自分」の中核的要素はそこまで変わらないでしょう。

「意識」はかなり「自分」そのものという気はします。

しかし、「意識とは何か」、「心は存在するのか」というのはかなり困難なテーマですよね。

こんな感じで「自分」を明確に定義し始めると、「自分」なんてひょっとしてどこにもないのではないかと思ってしまいますね。

人間は「知覚の束にすぎない」と言った哲学者もいますし。

「自分探し」以前に自分なんて明確に定義できるものなのか?

なかなか難しい話です。