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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

イライラするのは我執ゆえ

社会では人と共同生活をしなくてはならないので、様々な場面でイライラしたりすることがあります。

マウンティングも広く行われています。

しかし、なんでそもそもマウンティングで人を見下したり、人から見下されてイライラしたりするのか?

(ここから先に書くことは私も100%実践はできていませんが、思想レベルで思ってることです。)

それは結局のところ、我執、つまり自分に対して自尊心が高すぎるのがすべての問題の根源にあります。

自分が好きすぎるから、自分が負けることが許せないですし、他人が自分をマウンティングして馬鹿にするのが許せないのです。

逆に自分が勝っていないと気がすまなくなるのです。

しかし、発想を変えてみましょう。

東洋思想的に考えてみると、「個」というのはそもそも存在していません。

「自分」なるものは、脳が作り出したカコウです。

自分と他者を完全に別の存在だと仮定しているからイライラしてくるわけです。

Iとweをそこまで分けて考えなければイライラすることはなくなります。

「俺ではなくあいつがうまくいった」と考えるからイライラしてくるわけです。

「俺たちがうまくいった」と考えればイライラしません。

例えば理系の研究者で「あいつに先を越された」と考える人もいるでしょう。

山中氏に先を越された笹井氏は、悔しかったでしょう。

しかし、考え方によっては「我々の人類に対する貢献」と考えられなくもありません。

そのように考れば、悔しい気持ちも収まるのではないでしょうか。

ちょっと優れた人を見つけて嫉妬してる人もいるかもしれませんが、冷静に考えてみましょう。

佐々木希でもキムタクでも大谷翔平でも誰でもいいですけど、さまざまな点で優れている人が社会にはたくさんいます。

しかし、私は最近再三申し上げてますが、優れている人も所詮大半は遺伝のおかげです。

「自分のおかげ」ではありません。

生物レベルで考えても、われわれはアメーバのように勝手に増えたり、植物の光合成のような生き方はできません。

あくまでどんな優れている人間と言えど「他力本願」なのです。

そして成功してる人もたまたま有力者に気に入られた、とか色々な意味で運が良いわけですし、達成した偉業も家族や友人などの支えがあってこそなし得た業です。(コミュニタリアンチックかもしれませんけど)

優れている人間というのは「社会の共有財産」であり、そもそも優れている人が個人として偉いという事はありません。

大谷選手やメッシあたりは社会の財産であり、もはや彼らは彼らだけのものではありません。(人権がないとかそういう意味ではなく)

彼らは、個人として他者から独立して何か凄いことを成し得たわけではありませんから。

そのように考えると、別にすごいと言われてる人をひがむ必要もありませんし、羨ましがる必要もありません。

東洋思想で「縁起」や「色即是空」といった言葉がありますが、すべての人間や存在物はお互いに支えあって存在しています。

そもそも他者から独立した「個」なるものはありませんし、「自分」、「あいつ」という明確な線引きはそもそも困難です。

完全に実践するのは難しいかもしれませんが、どこかで東洋思想的な発想をすると、くだらない俗世間の相対評価の世界から抜け出して気楽に生きることができると私は思っています。

自分に対するこだわり(=我執)がすべての苦しみの根源でしょうから。