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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

当たり前のことに感謝する

私は胡散臭い道徳訓みたいなものが大嫌いな人間なのですが、この投稿はちょっとそれっぽい話になってしまいます。笑

ブログで話した話ですが、われわれ日本人の99.9%の人間は1日3回食べられています。

引っ越し屋さんやタクシー運転手のような比較的所得が低い層の人間ですら誰一人餓死することはありません。

「1億人の国民のほぼ全員が餓死しない」というのは地理や歴史を勉強をすればわかりますが「奇跡的」なことで、そんな当たり前のことにわれわれは感謝しないといけません。

私を含め都会の人間は、誰一人自分で屠殺もできなければ野菜を作ることもできません。

米も小麦も作れません。

魚も獲ることができません。

料理もできません。

それでもそういったことを代わりにやってくれる人がいるから当たり前のように毎日食べることができるわけです。

大体犠牲になってくれた牛や豚にも感謝しないといけません。(「いただきます」の文字通りの意味は「命をいただきます」ということですからね)

当たり前のことに感謝しないといけません。

テレビもパソコンも冷静に考えてみると、とてつもない数の人間が関わっていることに気づきます。

「お金を払って製品を購入する」という結果だけにわれわれは着目しがちですが、そこに至るまでにどれだけの人間が関わっているか、想像力を働かしてみると、たかが8万円くらいでパソコンを買えてインターネットができるというのは僥倖だと気づくでしょう。

電車も飛行機も自分では運転できませんが、プロの方がやってくれるからわれわれは何の問題もなく移動できます。

「当たり前」に動いていると思ってしまいがちですが、全然当たり前ではありません。

運転手やパイロットに感謝をするべきです。

専業主婦を持つ男性であれば、子供と安心して遊べるのは配偶者のおかげでしょう。

それは「当たり前」ではありません。

常日頃から感謝するべき事です。

自分が普段「当たり前」だと思っていることが、様々な比較においていかに当たり前ではないか、を意識することが大切です。

そしてそういった当たり前のことに幸福を感じられない人間は、たとい所得が2倍3倍になろうが、根本の幸福感は永遠に変わりません。

幸福とは追い求めるものではなく、日常に見出すものなのです。

年末にちょっと思ったことです。