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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

無駄な無駄、有用な無駄

こないだ引用した ちきりんさんの著者で、氏はさかんに「生産性を高める」ということを強調していました。

ホリエモンも常に生産性について意識しているようです。

私も「人生におけるコスパを考えることが大切だ」といった趣旨のことを言っております。

しかし、こういった考え方も程度問題で、あまり過度に時間あたりの生産性を考える人生というのも窮屈で生きづらいように思います。

よく「無駄な時間」という言葉がありますが、私は「無駄な時間」には「無駄な無駄」と「有用な無駄」の2種類があるように思います。

例えば私も中高生の頃に、放課後にコンビニでたむろしたり、サッカーの練習の後にマクドナルドでダベっていたり、(一見)無駄な時間をたくさん過ごしてきました。

しかし、こういった時間が、今から考えても本当に無駄な時間だとは思えません。

将来のことを考えて勉強したりボランティアをしたりすること「だけ」が中高生にとって意味のある時間だとは思えないのです。

意味なくゲームセンターで遊んだり、マクドナルドでバカ話をしたりする体験は、やはり無駄なようで人生の大切な一コマでしょう。

日本の大学生は勉強しない勉強しないと言われますが、やはりFランと言われるような大学ですら大学に行く意味はあると思うのです。

たいして勉強しないかもしれませんが、やはり高校を出てすぐ働いてる人間と違い「無駄な時間」をたくさん持てるからです。

バイトをしたり旅行をしたり。

こんなの「学生の本分」ではないかもしれませんが、こういった生活を国民の半数近くが経験できることは「日本の豊かさ」だと私は思います。

学生時代のモラトリアムには大切な経験が詰まっています。

これは「有用な無駄」なのです。

それに対して、やはり「無駄な無駄」な時間というのも人生には存在するような気がします。

その典型が、明らかにつまらない人間と付き合いで飲みに行ったり、全く生産性のない会議に参加したり、通勤時間に割くような時間です。

これらの時間は私から言わせると「ただの無駄な時間」です。

よく「無駄な時間」と言いますが、ある程度考えて、有用な無駄と無駄な無駄は峻別するべきでしょう。