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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

人生の優先順位について

このブログをお読みの皆さんの具体的な年齢層というのは存じ上げませんが、基本的にネット関係のつながりですから、あまり年配の方はいらっしゃらないと推測しています。

 
だいたい25〜50歳くらいの方でしょう。
 
様々な年齢の方がいらっしゃるでしょうけれど、当たり前と言えば当たり前の話ですが、我々の死亡率は100パーセントです。
 
明日死ぬかもしれませんし、あと50年ぐらい生きられるかもしれませんが、いずれ死ぬ事は確定的なわけです。
 
そう考えると、我々には間違いなくタイムリミットがあります。
 
よく「女にはタイムリミットがある」などと言いますが、マクロに考えたら男女の違い等なく、われわれは全員が死刑囚と同じです。
 
首をつるまでのあと数日の命なのか、あと50年の命なのか。
 
量的な違いがあるだけで質的な違いはありません。
 
そのように考えたときに、人生に優先順位をつける事は極めて大切でしょう。
 
特に若い人は、「永遠に生きれる」かのような錯覚に落ちいっているので、人生の早い段階で人生の有限性を悟ることが大切です。
 
換言すると、様々なことを「諦める」ことが大事になってきます。

古語では、「あきらむ」は「物事を明らかにする」という意味でした。

無理なことを諦めることが物事を明らかにするためのよすがになるという意味なのでしょう。
 
また、何度も言っていますが、「コストパフォーマンス」を把握することも大切です。
 
例えば私事ですが、私は語学が好きなので、英語の本を書いたり自分でも細々と勉強したりしていましたが、ある時からほとんど勉強することはやめました。
 
理由はコストパフォーマンスです。
 
これは語学に限らずあらゆる分野の勉強や仕事に当てはまりますが、ある程度高いところに行ってしまうと、そこから「もうひと伸び」するのは至難の業です。
 
私は語学に関しては英検1級レベルに到達しましたが、TOEIC満点や英検1級なんて、英語ができない人が想像してる以上に「相当しょぼい」と考えるべきです。
 
教養あるネイティブのレベルを100とすると、おそらくTOEIC満点や英検1級のレベルなど、30くらいでしょう。
 
スピーキングに関しては20くらいかもしれません。
 
しかし、その30を35に、40に、という努力をしようとするととても効率が悪くなります。
 
学習の伸びというのは「対数」的だからです。
 
30を40にするのに1万時間、40を50をするのに1万時間はかかるでしょうが、それでも永遠にネイティブには及ばないのです。
 
ですから私は発想を変えました。
 
今のレベルを落とさずに維持して、仕事で本当に高度な英語力が必要な時はお金を払って通訳を雇えばいい、と。
 
今のレベルでもノンネイティブとしてほとんど困る事はありませんが、「ノンネイティヴとしてほとんど困らない」を「ネイティヴレベル」にするためのおよそ2万時間を他のことに使ったほうが有益だと判断したのです。
 
私の語学の例は一例ですが、これはあらゆる事に当てはまります。
 
人生のタイムリミットを計算したときに、「それは本当にコストをかけるだけの価値があることなのか?」、「お金を払って外注するべきではないか?」と深く深く考えるべきでしょう。
 
子供の教育もそうです。
 
私の私見ですが、年収1,000万円位でやたらと教育熱心な家庭というのは必ず都会に一定数存在していますけれども、そのレベルの年収の人がやたらと子供の教育に投資するのはあまり賢い選択だと思いません。
 
有名中学・高校から慶應や東大のような名の知れた一流大学にいって一流企業に就職したところで、せいぜい年収1000万円位でしょう。
 
そしてその1000万円もタワマンだの車だのまたさらに子供の子供の教育費に、とどんどんくだらない「見栄代」消えていくわけです。( 見栄張り代のむなしさは前の投稿を参照)
 
そして東京にいればその程度の金持ちは山ほどいますから、「相対的な幸福度」はそこまで高くありません。
 
小学生から頑張ったところで、たいして頑張らなかった連中と主観的な幸福度は全く変わらないでしょう。
 
なぜならば、人間の幸福度というのはよほど頭のいい人を除いて、基本的に「身近な他者」との比較で決まるからです。
 
有名高校や有名大学に行けば、周りのデフォルトが上がるので、ある意味主観的な幸福度は上がりません。
 
港区に住めば港区のデフォルトがありますから、他人と比較してる限り年収1,000万程度ではまるで幸福度は高くないでしょう。
 
ですから、子供をいわゆるエリート路線に乗せたところで、主観的な幸福度は代官山の美容師や表参道でシェフをやっている人間と全く変わりません。
 
年収や地位が上がれば圧倒的に幸せになれると思ってる人間は本当に愚かです。
 
人間の幸福度が「客観的な状態」によって左右されると勘違いしてるからです。
 
たいして幸福度は変わらないのに、投資だけは増えるわけですから、いわゆるエリート路線には全くコストパフォーマンス的な魅力を私は感じません。
 
ただし、子供がすごく学びの才能がある場合だけは例外です。
 
本当に学びの才能がある子供であれば教育投資する価値があるでしょう。
 
問題はそこまで知的なことに興味がない(ほとんどすべての)子供です。
 
こういった子供たちにお金をかけて小学生位から教育投資をしても本人は主観的に辛いだけだし、結果的にそこそこの社会的ポジションについても自分より有能な人間は山ほどいるわけですから主観的には大して幸福ではないわけです。
 
小中学生の間は学校の授業だけを大切にして放課後は遊んで、高校から本気を出してやれば大概の一流大学は間に合いますし、それで間に合わないのであれば、それはそもそも遺伝レベルで勉強に向いてないということです。
 
そして勉強に向いてないという事は、そもそもホワイトカラーの仕事に向いていないという事ですから、実は職人になったりシェフや美容師などになったほうが主観的にはずっと幸福なのです。
 
向いてないホワイトカラー世界(東京・大手町ワールド)で働いて、ものすごく頭の良い人間に対して劣等感を感じて指をくわえて見ているよりは、そういったカーストから完全に自由になれる世界に行った方が主観的には幸福でしょう。
 
ちょっと具体例が長くなりましたが、まとめると、人生のタイムリミットから逆算し、「自分にとって本当に価値があること」だけに集中的にお金をかけるべきでしょうね。