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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

「すごい人間」などいない

こないだ取り上げた『日本人の9割が知らない遺伝の真実』にも書いてありましたが、我々が素朴に思っている以上に我々の能力というのは遺伝の影響を強く受けています。

 
遺伝、遺伝と言うと、優生学やヒトラーをイメージする人もいるためか、人の特徴や現象を遺伝学的な観点から説明することはあまり好ましくないようです。
 
また、単純に「遺伝子がいいから彼は優れている」と言ってしまうと、「それを言っちゃあおしまいよ」的なお話になってきます。
 
それから、教育者や商売人から見ると、「ほぼ全ては遺伝で決まっている」という言説はあまりまかり通って欲しくない不都合な真実なのです。
 
なぜならば、遺伝でほぼ全てが決まっているならば、化粧業界も予備校もかなり無意味化してくるのは論理的な帰結だからです。
 
「努力すれば夢は叶う」というウソや建前がないと教育者や商売人は存在意義がなくなってしまいます。
 
しかし、現実には我々の能力には遺伝の要素が色濃く反映されています。
 
そのように考えていくと、「すごい人間」、「偉い人間」という評価自体を「相対化」する必要があるでしょう。
 
「有能である人間(有能でない人間)」と「すごい人間(すごくない人間)」は綿密な場合分けをするべきでしょう。
 
例えば、身長が高い事は現代社会で価値あることですが、身長などほぼ100%遺伝ですから、一般的に身長が高い人を「すごい人」とは評価しません。
 
また、顔がかわいい人を同様に「すごい人」とは評価しません。
 
しかし、年収が高い人や学力・学歴が高い人を現代社会では「すごい人」、「偉い人」と評価します。
 
おそらく仕事にしても勉強にしても、身長や顔のように「中身」がよく見えないだけに、「本人の努力」というマジックワードが幅をきかせやすいのでしょう。
 
「俺は努力したから今の地位にあるんだ」と言われたら、なかなか抗いがたい「エセ説得力」があるでしょう。
 
本当は、「特定の分野で努力できること」自体が多分に才能・遺伝で決まってるわけですがねぇ
 
『真実』にも書いてありましたが、知能の遺伝率は50%です。
 
また、家庭環境の要素が20%、「努力する才能や集中する才能」が20%くらいは学力に影響を与えるでしょう。
 
そしてよほどスポーツや芸術の才能がない限り、残念ながら現代社会では知能と年収には非常に高い相関があります。
 
しかし、このように学力の90%が「自分の努力ではどうしようもないファクター」によって規定されていると考えると、そもそも稼いでる人間や知能が高い人間は「すごい人間」なんでしょうか?
 
多分に「運が良い人間」にすぎないように私は思います。
 
すごい、すごい、と思考停止して礼賛する前に、冷静に要素に分解して考えてみましょう。
 
すごい人間なんてどこにもいません。