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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

自己顕示のための教養

批判的な内容なので具体的な書名は控えさせてもらいますが、教養やリベラルアーツに関するクソ本を読んでいました。

教養やリベラルアーツに関する本でよくあるパターンなのですが、「普通の日本人はこんなことも知らない、しかし欧米のエリートならこれくらい当然知っている」といった「自己顕示のための教養」を語る人間は非常に多いですね。

佐藤優や瀧本哲史がド典型ですが、とにかく自分がいかにモノを知っているかを誇示するような論調で教養本を書いてる輩ばかりです。

しかし、本来教養というのは個人の人生を豊かにするためのものであって、教養そのものは目的でも何でもありません。

自分の人生にとって教養なんて必要ないと思えば別に学ぶ必要すらないと思っています。

政治の話もそうですが、「知」をマウンティングや自己顕示のための道具として使ってる人間は非常に多いですが、こういった人間はいくら知識が多くても「教養人」とは到底いい難い。

なぜならば、教養とは全人格的なものであり、教養の多寡で他者を見下すような人間は、そもそも広義の教養人の定義には該当しませんから。

全人格的というのは、端的に言うと「人柄や性格」なども含む総合的な判断ということです。

また、上に書いたように政治や教養を自己顕示やマウンティングのツールとして用いている人間は「教養」の本来の意味が分かっていないのです。

このブログのようなある程度一般性のある所では私も無意識に知的マウンティングをしてるかもしれませんが、少なくとも対面のレベルで相手がまったく興味がないのに自分の教養をみせびらかすような低俗な行為は絶対にしません。(という発言自体がマウンティングという言いがかりはやめてください)

繰り返しますが、教養とは知識や思考といったレベルにとどまらず、全人格的なものであり、そこを誤解してる限りどれだけリベラルアーツや古典について造詣が深くなったところで、砂上の楼閣だと肝に銘じたほうがいいでしょう。