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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

自分が欲しいもの

人間は自分の欲しいものを把握するのが意外と難しいものです。

 
例えばちきりんさんの本にも書いてありましたけど、バックパッカーはなぜバックパッカーのような旅の仕方をするのかというと、それは「自分はどんな所でも旅をできる」という実証と実感が欲しいからです。
 
しかし、彼らは「いや、そうではなく、現地のことをよく知りたいから」と言います。
 
自分でも自分の本音というのは認めたくないのです。
 
商社マンや外務省の人間も「なぜその仕事に?」と言われても、「他人から褒められたいから」、「承認欲求を満たせるから」とは決して言いません。
 
実はそれがかなり大きな部分を占めているのは明らかなわけですが、「やりがい」、「グローバルに活躍したい」と美辞麗句を並べるわけです。
 
これは彼らが意図的に嘘をついてるというよりも、人間の心理として「恥ずかしい自分」は認めたくないという気持ちがどこかにあるのでしょうか。
 
「かっこいい自分」でいたい、とも言えますが。
 
「他人から褒められたいから」、「自分は世界のどこでも生きていけるという実感と実証が欲しい」という本音をあまり認めたくないわけです。
 
ところで、大人になると社会化が進むので、意外と「自分が欲しいもの」と「自分が欲しいと社会から押し付けられているもの」の区分が非常にあいまいになります。
 
もちろん人間は『ポリス的動物』ですから、前者と後者を完全に分ける事は不可能です。
 
しかし、それでも相対的な分類は可能ですし、必要だと思います。
 
たいして車が好きじゃないのにポルシェが欲しかったり、タワーマンションに住んだり、有名企業に勤めたり、というのは明らかに社会的な欲求でしょう。
 
未開のアフリカ人に、「クラウンとポルシェどっちがかっこいい?」、「タワーマンションと田舎の一軒家どっちがいい?」と選ばせたらおそらく人によって分かれるでしょう。
 
それでも我々がポルシェやタワマンを欲するのは、それが社会的に認められているからです。
 
実はただそれだけで、ポルシェやタワマンに「内在的な価値」があるわけではありません。(「内在的な価値」というのは、ちょっと難しい表現ですが、例えば「スプーン」は「食事をするため」という内在的な価値がありますよね。それに対してポルシェやタワマンは内在的価値以上の社会的な価値があります)
 
逆に、サッカーをしたり、将棋をしたり、特に有名ではないレストランでおいしいものを食べたり、子供と遊んだり、といった欲求は「本当に欲しているもの」と言えるでしょう。
 
こういうことを言うと勘違いする方がいらっしゃるのであらかじめ言っておきますが、別に私は社会的な欲求を充足することが悪いなどとは全く思っていません。
 
私もそれなりにいい大学に進学したり、いいところに住んでますけど、これは完全なる社会的欲求ですし、別に否定するつもりもありません。
 
大切なのは「これは社会的な欲求だな」と自覚することです。
 
最悪なのは、社会的な欲求をさも自分の本当に欲しい物かのように自分で自分に嘘をつくことです。(まぁ自分で気づいていなければある意味幸せだとも言えますが、、、)
 
自分が幸福になるためには、まず「自分は何が欲しいのか」を把握することが肝要です。
 
まず自分の本音に向き合って自分の欲しい物が正確に分からない限り、幸福になる事は難しいと思います。