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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

「頭の良さ」について

長年続いている番組なのでご存知の方もいるかもしれませんが、『頭脳王』というクイズ番組のような番組が昨日やってました。

私がこの手のクイズ番組を見ていていつも思うことなのですが、どうも日本人はこの手のクイズ番組ができる人間を礼賛しすぎなんですよね。

だいたいこの手の番組には有名大学の医学部の学生などが面白おかしく吹聴され持ち上げられます。

もちろん一般知能やIQ、記憶力や知識量という観点で、こういったクイズで勝つ人間が素晴らしいのが言うまでもありません。

しかし、忘れてはいけないのが、こういった能力はあくまで人間の能力の「一部」にしか過ぎない、さらに言えば「人間の頭の良さ」の「一部」にしか過ぎない、という至極当たり前の事実です。

おそらくノーベル賞をとった山中さんや大村さん、孫正義あたりがこの手のクイズ番組に出ても全く手も足も出ないでしょう。

では、彼らがこの手のクイズ番組でバンバン答えてる人間より「頭が悪い」のか?

そんなはずはありません。

学問的な研究をしたり経営者として活躍したりする上での「頭の良さ」とIQや知能は「重なる」のは事実ですが、同値ではありません。

この手のクイズ番組やサンデー毎日やプレジデントなどの大学・受験特集などを見るにつけ思うのが、「人間はわかりやすい能力を求める」という人間の浅はかさについてです。

本来人間の能力等は極めて多面的であり、「知性」一つをとっても極めて複雑です。

日本人は学歴が好きですが、「単なる判断要素の一つ」を超えて、高学歴な人間をそれだけで礼賛する人間がいます。

それも結局学歴というのはわかりやすいアイコンだからでしょう。

文章を読んだり話したりすれば、その人間の賢さなどはかなりの程度を判断できるはずですが、そういった「実質的な判断能力」をほとんどの人間は持ち合わせていないからこそ、「学歴」というアイコンにこだわるのでしょう。

わかりやすいですからね。

「あの人は東大だ」
「あの人は京大だ」

要は六本木ヒルズやポルシェと一緒ですよ。

私がたびたびこういった話をしているので、「カトハヤは学歴で人を決めつけてる」などと浅い勘ぐりをしている方もいらっしゃるかもしれませんが、少なくとも文章を読んだり会話ができる範囲の人間であれば、私は学歴「だけ」で人の知性を判断するような事はしません。

勘違いしないように。

繰り返しますが、人間の「頭の良さ」などは本来非常に複雑ですから、それを測定することなどそもそもかなり困難なはずです。

ですから、「哲学的な深さ」や「文章力のうまさ」、「学問的素養」といった測定が難しい能力についてはあまりクイズ番組や週刊誌などで取り上げられる事はありません。

なぜならば、これらの能力は極めて主観的で判断が難しいからです。

少なくとも物理や数学の問題のような簡潔で一義的な答えは出ないでしょう。

クイズ番組でフランスのバカロレアのように、「人間の生きる意味についてあなたの考えるところを述べなさい」などといった問はありませんが、本来人間の賢さとはこういった必ずしも答えがない問題について徹底的に考え抜くことではないでしょうか。

しかし、こういった本当に大切な問ではなく、「わかりやすい問」が即座に解ける人間が礼賛されるのが日本の受験やクイズ番組の浅はかなところです。

もちろんIQ的な頭も必要かもしれませんが、シンギュラリティーの時代になればIQ的な頭こそ一番いらないの能力です。

少なくともこういったクイズ番組を見て、盲目的に礼賛するのは極めて時代遅れだと思います。

繰り返しますが、人間の能力とは極めて複雑で多面体ですから、その一つの能力を持っている人間を全知全能な神のように絶対視するのは極めて危険です。

人間の浅はかさについて。