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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

人生の目的・手段

『自分の時間を取り戻そう』というちきりんさんの著書を拝見しました。

ちきりんさんに関しては賛否両論という感じですが、私は比較的好きですね。

この本に書いてあったことで私も100%同意していることですが、やはり人生の目的と手段をしっかりと把握するということは非常に大切ですね。

ちきりんさんも具体例にあげていた話ですが、例えば不妊治療に何百万円もかけている人がいます。

当たり前ですが、「手段」という表現は若干不適切かもしれませんけれども、子供というのも人生を豊かにするための1つのよすがです。

不妊治療のために死ぬほど悩んで何百万円も投資をするというのは人生の目的と手段が転倒しています。

これは不妊治療に限らず、港区女子の結婚もそうでしょう。

「幸せになるための結婚」が、「結婚することが目的」になってしまうのです。

資格試験のために10年くらい勉強してる人もそうでしょう。

「資格を取って社会貢献して収入を得るための資格」のはずが、気がついたら資格を取ることが目的化しているのです。

人生の最終的な目的は、言わずもがなですが幸せになること。

逆に言えばそれ以外の事は全て手段といっても差し支えありません。

あまり家族や友達を手段という表現で捉えたくはありませんが、やはり家族や友達もお互いにとってプラスである関係でないと長続きしないでしょう。(「プラス」というのは「仕事をくれる」とか「おごってくれる」とかそういったレベルのことを指しているわけではありません。お互いの人生観に影響を与え合うという意味です。)

自分の人生を分析していくと、ほとんどの事は手段であり、本当に楽しい目的の時間がかなり少ないことに気づきます。

もちろん目的と手段は完全に分けられないことも事実です。

例えば、仕事のための語学の習得がすごく面白いケース等は、本来手段でありながらもその時間そのものを楽しんでいるわけですから、目的とも手段とも言えません。

しかし、やはり原理的には目的と手段はわけるべきです。

そうしないとどんどん自分の人生の貴重な時間が「手段」の時間に削られていくからです。

例えば、私は夜の22時まで働いて港区のタワーマンションに住んだり、土日まで働いて高級レストランに行きたいとは思いません。

大変顰蹙を買う言い方ですが、いまの私はそこまで頑張らずにそれらが手に入っているからたまたま享受できているだけであって、別にないならないで何とかします。

少なくとも自分の貴重な時間を奪われてまでタワーマンションに住んだり社会的地位を手に入れたいとは思いません。

それは結局目的と手段が転倒しているからです。

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たしかに高層マンションからの眺めは壮麗ですが、慣れてしまえば毎日感動ということはありません。

人間は悲しいことにどんな状態でもデフォルト化してしまうからです。

私はビルゲイツや孫正義ですらあまりうらやましいという感覚はありません。

なぜならば、彼らにとっては彼らの状態が「デフォルト」であって、別に彼らが毎日幸せで仕方ないとは思わないのです。

毎食3万円の食事をしていれば、今度はそれがデフォルト化されます。

毎日おいしくて仕方ない、とはならないのが人間の幸福感です。

なので、すごく頑張って俗的なものを手に入れようと、というのはあまり賢い生き方だとは思いません。

人生の目的、自分にとっての幸福、これをまず自分なりにイメージし、「ではそのためには何をすればいいのか」を考えなくてはなりません。