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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

「勝つこと」、「できる事」に人生の意味を見出してはいけない

私はたびたび人間の幸福について語っています。

そして最近確信してることですが、もし貴方が「人に勝つこと」、「何かをできるようになること」によって幸福になろうと考えている場合、それは大きな間違いです。

似たようなことを度々申し上げて恐縮ですが、「勝つ」と一言で言いますけれども、どこかのステージで勝ったとしても、また次のステージでさらに強い敵と戦うことになります。

「お金持ちと結婚して青山のタワマンに住みたい」などと憧れている未婚女性はたくさんいるでしょう。

しかし、青山のタワーマンションに住んだら、今度は同じレベルの人間と比較することになります。

どこまでいっても勝ち負けをつけたいというのがある種人間の本性です。

「みんな勝ってよかったね」とはならずに些細なところでも差をつけたがるのが人間です。

青山のコミュニティーで相対的に勝つためにはさらにとてつもない富が必要になってくるでしょう。

年収1,000万位では論外です。

俗的なレベルでの勝ち負けにこだわり始めたらキリがありません。

もちろん、ある程度人に勝ちたい気持ちもわかります。

私ももちろんそういう気持ちはあります。

しかし、それが「自分の人生の全て」になってくると破滅への道でしょう。

なぜならば、「勝ち続ける」ことはありえないからです。

スポーツでもそうでしょう。

甲子園に出てプロ野球選手になったとすると、その時点では「勝ち」です。

同じ高校のチームメートからは嫉妬され大満足でしょう。

しかし、喜びもつかの間です。

当然プロ野球選手になったらなったで今度はプロ野球選手と戦うことになります。

人と比較して勝つことを人生の最大の目標にしているとほとんどの人は不幸になるでしょう。なぜならどこまでいっても上には上がいるからです。

(「人生の小目標」ならいいでしょうが)

私も「そこそこ勝ちたい」と思いますし、ある程度勝つことによって認められたい気持ちはあります。

しかし、それに異常に固執していると軍拡競争さながらの終わりなき戦いに終始することになります。

同様に、これからは何かが「できること」にますます意味がなくなってくるでしょう。

AIが実用化されてくると、世の中でどんどんどんどん「できること」が増えてきます。

そうなると逆説的に「何かができること」の意味は相対的になくなってきます。

ちょっと意味が分かりにくいでしょうか?

例えば車は、どこでもドアがないからこそ意味があります。

もし仮にどこでもドアができたら車の意味はなくなります。

健康が維持できて痩せられる薬ができたら、ジムの意味はなくなります。

このように、できることが増えすぎるというのは決して幸福な事でもないと思うのです。

人間が人生に与える「意味」は「できること」と「できないこと」のはざまで生まれているからです。

この事実に気づいたときに初めて、「人間の生きる意味」は結果ではなく「できない状態からできるようになるプロセス」にあるのだ、というある種当たり前のことがわかります。

人は最終的に死にます。

そういった意味で「人生の結果」は我々既に決まってるんですよ。

では、技術が進歩して、ボタン1つで80年分の人生を1分で味わえることが可能になったとして、それをあなたは望むでしょうか?

仮に子育てや旅行がボタン1つで終わるとして、それをあなたは望むでしょうか?

子育てや旅行などが典型ですが、人生の意味はプロセスにあります。

子育てや旅行も、原理的にはボタン1つで終わらせることもできるようになるかもしれないと私は思っています。

しかし、そんなの絶対面白くないですよ。

わざとゆっくり味わうから面白いわけでね。

ですから、人に勝つことや「何かができる、という結果」に幸福を感じようとしても幸福はスルっと逃げていってしまうように思います。