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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

書評

✳︎書評✳︎

この本面白かったです。


「言ってはいけない」の続編みたいな本でした。(筆者もそう言ってますけど)

この本で印象深かったのは、次の点です。

・機会を均等にすれば、より格差が広がる。

→通常は「教育機会を均等」にすれば格差の解消につながる、と考えられがちですが、筆者によると実態は全く逆だということです。様々なことに触れれば触れるほどむしろ遺伝的な要素が顕在化します。
「歳をとるにつれてむしろ遺伝的要素がより強く顕在化してくる」と書いてありました。
これも平均的なイメージと違ってちょっと示唆的ですね。
普通は素朴に、「生まれ持った能力は多少差があるかもしれないけれども、環境や努力によってその差は埋まる」と考えがちですけど、実は全く逆だというのが「不都合な真実」みたいです。
たしかに、我々がウルドゥー語の試験を受けたら(ほぼ)みんな0点であり、ある意味格差ゼロです。
われわれはウルドゥー語を学ぶ機会がないからです。
しかし、学校教育で英語や数学という科目があるからこそ、われわれは6年間で恐ろしいほどの英語や数学の学力の格差が生まれています。
身長や顔の遺伝と違って、勉強や音楽の才能というのは、そもそもの機会を与えられないと開花しません。
江戸時代の農民なら、IQ120の人間もIQ80の人間もその「差」は顕在化しませんが、幸か不幸か、今の日本では義務教育があるからこそ、その遺伝的要素が皮肉にも顕在化するというわけです。
これは言われてみるとそうだなぁと思いました。

・そもそも時代によって必要な能力は違う。

→これは私が普段から思ってることですが、人間の能力はきわめて多様です。

しかし、現代社会では「知能が高い」ことが過剰に評価されており、それが遺伝的に学習に向いてない子供たちを苦しめていると筆者は言っています。

たしかに、「知能が高い」のも「足が速い」のも「料理がうまい」のも等しく価値があることですが、現代社会では「知能が高い」ことが非常に価値があることだとみなされているので、結果的にブルーカラーの社会的地位が低くなっているわけです。

筆者も言っていますが、これだけ抽象的思考というか一般知能が尊ばれているのは産業革命以降のことであり、そういった意味で現代社会は「知能ドグマ」に毒されていると言えそうです。

このことを揶揄して「かけっこ王国」という架空の世界を筆者は描いています。

この筆者の前作である『遺伝子の不都合な真実』とある程度重なりますが、面白い本ですよ。