読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

していい昔の自慢

私はたびたび「過去の栄光の自慢はダサい」と言っていますが、私の勝手な基準で「していい昔の自慢」と「したらダサイ昔の自慢」というのがあります。

昔の事と言っても、「昔しかできないこと」を少し誇らしげに自慢するのは全然理解できます。

「私は30年前に甲子園に出たんだよ」
「私は小さい時子役をやってたんだよ」
「ジュニアユースで本田のチームメートだったんだよ」
「若い時、リア充だったんだよ」
etc

こういった自慢はそこまで奨励はしませんが、許容はできます。

なぜならば、スポーツが典型ですが、これらの事は昔しかできませんからね。

それに対して絶対にダサイ自慢が、高校・大学・昔いた会社自慢ですね。

なぜスポーツと違うのか?

理由は簡単で、いわゆるホワイトカラーの仕事をしていれば、高校ぐらいから現在までは基本的に一環したストーリーになってるはずなんですね。

つまり、名門高校・名門大学、一流企業といった肩書はそれ自体に意味があるというより、あくまで将来(現在)に向けたモノです。

ですから、それらの肩書を十分に活かした生き方をしていれば必然的に現在も素晴らしくなってるはずです。

それなのに現在ではなく過去のパフォーマンスを強調するというのは、「いまがいけてない」証左。

要は、「いまはいけてないんだけど、新卒で入った会社(出身校)は良かっんだよ」という深層心理があるから「わざわざ」強調したくなってくるわけです。

昔もいけてて今もいけてるなら、わざわざ昔を強調する必要がないのですから。

「今くすぶってるけど実は俺『元三井物産』なんだよ」
「今くすぶってるけど実は俺慶応なんだよ」
etc

今のパフォーマンスが情けないからどうしても過去を強調したマウンティングをせざるを得ないのです。

なので、同じ過去の自慢といっても、スポーツの自慢と職歴や出身校の自慢はまるで異質なものです。

過去に所属していた組織について語ってる人間は、情けないと私は哀れんでいます。