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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

承認欲求のツボ

人間には「認められたいツボ」があるように思います。

例えば、容姿に自信がある若い女性ならば、そこを一番褒められたいでしょう。

「礼儀正しいですね」なんて褒められても嬉しくないことはないですがたいして嬉しくないはずです。

学者なら論文の素晴らしさを一番褒められたいでしょう。

「鈴木さんの論文は非常に明快で鋭いですね!ラスカー賞狙えますな!」なんて言われたら最高でしょう。

そこで「鈴木さんは姿勢が良いですね」なんて褒められても嬉しくないはずです。

人には「こう見られたい」というツボがあり、そこに主観と客観のズレがあると人間は悲しいのです。

女性が、自分のことを70点くらいの顔で「自分は可愛い」と思っているのに、50点くらいの扱いしかされないと、主観も客観も50点の女性よりずっと不快です。

帝京大学アメフト部でレギュラーの学生より、ガリ勉な明治大学政経学部の学生の方が激しく人生に劣等感を感じるでしょう。

Facebookでも、二流大学よりむしろマーチくらいのゾーンの方が一番出身校を公開していませんが、理由は明らかで、「インテリに見られたい」のに他者がそう扱ってくれないからです。

帝京大学のアメフト部の学生と「褒められたいツボ」がまるで違うからです。

アメフト部の学生はアメフトや運動能力で褒めて欲しいから、自分に満足してると思います。

しかし、見た目はさえなく運動音痴で「勉強が心の拠り所」なのに明治政経なら主観的には絶望的でしょう。

「一番褒めて欲しい」勉強で誰も認めてくれないわけですから。

東京・大手町勤務で40歳年収800万円位のサラリーマンも正直主観的にはあまり幸福ではないかもしれません。

「褒められたいツボ」で上には上がいてたいして褒められないからです。

逆に少年サッカーのコーチとスポーツジムのインストラクターをやって年収300万円の爽やかなスポーツマン風イケメンなら、そもそも「年収で人に褒められたい」なんて思ってませんから年収なんてどうだっていいのです。

彼の「褒められたいツボ」は運動神経やサッカーのうまさですから。

人には「他者からこう見られたい」という願望があり、それは言い換えると「褒められたいツボ」です。

その承認欲求が満たされないと人は欲求不満になるのです。

ちなみに私は「稼げる人間」、「賢い人間」でありたいというツボが非常に強いですね。

だから、「優秀さ」のメルクマールになるようなものは非常に敏感です。

たいして住みたくないところに住んでいるのも、たいして興味がない資格を持っているのも、すべて「できる人間」だと思われたいからです。

興味がない本も片っ端から読んでいるのも、「何でも知っている教養人」でありたいという願望ゆえです。(本当に純粋な興味ももちろんあるわけですが)

ハッキリ言って、今の私は学術的な分野や経営に関する分野で全くわからない事は絶対ない、と断言できる位本は読みましたからね。(エロ本を入れて1万冊かそこらは読んだでしょう。ま、「あえて困らせるような重箱の隅をつつくような話」をされたらわからない事は無限にあると決まってますけど。)

それが私の「認められたいツボ」なんでしょう。

だから私は車の免許もないし、ひとりでいるときの洋服はユニクロ、一人飯は吉野家でも全然気にしないのです。

「ファッション素敵ですね」なんて褒められてもまるでうれしくないですし、「ロブションで食事してるんですね、すごーい!」なんて褒められてもまるで嬉しくないですからね。

「そんな低俗な事はどうでもいい」と自分の中では思っているからです。

むしろ哲学、物理、経営学の知識で「あれ?加藤さんそんなこと知らないんだ」と言われる方がファッションをけなされるより100倍不快です。(死ぬほど悔しい)

「認められたいツボ」は人それぞれです。

貴方は何で認められたいですか?