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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

身分不相応という言葉

半分昨日の続きですけど。

私は「身分不相応」という前近代的な言葉をよく使いますが、身分相応、身分不相応って本当にあるよな、と思います。

私は昔から美人を優遇するということで悪名高いキャラでしたが、そのためお世辞にも同じコミュニティーの女性から評判がよろしくない。笑

しかし、私が美人を優遇すると言っても、何も不美人を中傷したり、罵詈雑言を浴びせたり、などということはなく、ただ単になんとなく(いや、かなり?)対応が違うというだけです。

美人と話す時はすごく楽しそうで、不美人と話す時はつまらなそう、というのが顕著なだけです。

誤解を恐れずに言えば、人間には身分があります。

例えば私と大谷翔平は、同じ人間として権利は平等に認められるべきです。

しかし、私と大谷翔平が同じ価値の人間のはずがありません。

私と佐々木希が同じ価値の人間のはずがありません。

私と山中伸弥が同じ価値の人間のはずがありません。

「権利として平等」というのと「価値の平等」は同値ではありません。

私と大谷翔平、佐々木希、山中伸弥は「同じ身分」ではないのです。

ですから私は、私が彼らより低い身分だと扱われても「そりゃそうだよな」としか思いません。

それを「同じように扱ってくれ」というのははっきり言って身分不相応な願いなわけです。

アリストテレスもそんなことを言ってますけど。

同じじゃないものを「平等に扱ってくれ」と主張するアホな人間がなくならないのは、ちょっと難しく言えば「近代思想の陥穽」でしょう。

美人と不美人を同じように扱え、というのは間違いです。

イケメンとブサメンを同じように扱え、というのは間違いです。

大谷翔平と2軍の選手を同じように扱え、というのは間違いです。

会社の人事で、東大卒と明治卒を同じように扱え、というの間違いです。

人間は権利として平等であるべきかもしれませんが、残念ながら価値は平等ではありません。

性格悪い人と思われるかもしれませんが、これは「言ってはいけない」真理です、ええ。