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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

ちきりんの理数教育論

何かと話題の伊g、いや、ちきりんさんですが、ちょっと昔のエントリーが炎上してるようです。

ちきりんさんは概して日本の学校教育に対して否定的です。

ちきりんさんは、「中学や高校の理科なんて私の人生で全く役に立たなかった。無駄だった。もっと役に立つことを教えて欲しかった」と言っておりました。

私は、この手の意見に関しては半分賛成半分反対で、正直断定的には何とも言えないところです。

学校教育の目的に関してはそれこそ「教育哲学」という分野もあるくらいで、色々な意見があると思います。

そもそも学校教育の目的は、国語や理科といった個別の科目の教授にとどまらず、「決まった時間に学校に行く」といった社会規範を身に付けさせるための面もあります。

ですが、ここでは「個別の科目の教授」という狭いテーマに話を絞ってお話をしましょう。

私は、ざっくり言うと、ちきりんさんの見解に賛成なんですよね。

正直国民の50%が微分積分や源氏物語について理解する必要はないと思っています。

もちろん、「何が役に立つかわからないじゃないか。一通り勉強することで向き不向きがわかるじゃないか」という反論も理解できます。

しかし、それをなお考慮しても、国民の50%が高校レベルの数学や理科をやる必要はないと思っています。

最近遺伝の話をしましたが、大体中学校3年生にもなれば、自分の勉強のポテンシャルなんてわかります。

中学校3年生までに極端に勉強の才能のない子が、3年後に才能が開花するなどという事は原則ありません。

また、高校レベルの勉強というのは正直非常に中途半端だと思います。

日本の高等学校の勉強というのは、大学での学問というレベルからは「簡単すぎる」水準であり、一般常識にしては「あまりにも難しすぎる」水準です。

なので、これを国民の50%がやるべきか、と問われたらかなり?です。

あくまで、旧帝国大学の理系学部に進学するような一部の層だけで結構でしょう。

この手の学校教育に関して、ほとんどの論者はある大前提というかドグマに毒されていると思います。

それは、そもそも「勉強ができることがすごく価値のあることだ」というドグマです。

当たり前ですが、いろいろな人生があります。

ミュージシャンや料理人になりたい人もいれば、学者になりたい人もいます。

学者や官僚になりたい人とミュージシャンになりたい人で、当然学ぶべきことが違っていてしかるべきでしょう。

「三角関数や微積分もやったほうがいいよ。後で役に立つかどうかなんかわからないし」というロジックは運動音痴の勉強馬鹿の発想です。

ある程度文武両道を達成した私から言わせると(マウンティング)、そこまでの基礎学力をほぼ全員に求めるのであれば100m12秒程度の脚力や垂直跳び1メートル程度の運動能力は「あったほうがいいし、将来役に立つかもしれないよ」と運動音痴なガリ勉君には言ってやりたくなります。

基本的に学校教育を論じているような人間は、小中高時代は運動音痴のキモメンでしょう。

自分が勉強がアイデンティティーだからと言って、その価値観を一般論として主張しないでほしいですよ。