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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

うまい土俵選びを

東京にいると、客観的な状態がそこまで悪くないのにも関わらず、主観的には幸福感が全くない人間がかなりいます。

それは身近な人間と比較してるからです。

よく「人と比較するな」、「人の目を気にするな」というありがちの言説がありますが、正直かなり「浅い」と思います。

「できるだけ人と比較しない方が気楽でいいね」とは私も思いますが、そもそもそんなことが完璧にできるならその人は仏陀です。

人間ではありません。

一定程度「身近な他者」と比較することは、「理想の状態」ではないものの仕方ないと思います。

そのように考えると、「身近な人間」をコントロールするというのは幸福感を維持する上で非常に大切だと思います。

私はたまたま今のところうまくいってますが、本質的には負けず嫌いで嫉妬深い人間なので、勝負に負けて身近な人間に馬鹿にされる事は不快です。

ですから、そもそも勝ち負けがよくわからない土俵設定をしたり、明らかに近い土俵で自分の上にいる人間が視界に入ってこないようにある程度コントロールしています。

感情のコントロールです。

例えば「起業してそこそこ金儲けする」というのは巧みな土俵設定だと思います。

たしかに、とんでもない金持ちはいますけど、基本的に自分で会社を経営した瞬間に、高学歴な人間のカーストからよくも悪くも離脱できるからです。

これが民間企業や官公庁で働くと、どこまでいっても昔の同級生との比較は終わりません。

「山本はあの若さでいま一橋の准教授らしいぞ、すげーな」
「御子柴は事務次官になったらしい」
「鈴木は三菱商事の部長らしいぞ」
「田中は国一の成績が悪いから法務省にしか行けなかったらしいな」
「山田は出世して港区の豪邸に住んでるらしいな」
etc

女性のマウンティングほどいやらしくはないですが、男性の仁義なき戦いというのは確かに存在します。

いわゆる世間が言うエリートコースを歩んできた人間ほど、「人との比較」の呪縛からはなかなか逃れられません。

だからこそ、比較が困難な土俵設定をしたり、自分が不利な土俵にはあえて足を踏み入れなかったり、様々な工夫をすることが幸福感を維持する上で重要だと思います。

東京でくすぶっている人間でそれをどうしても他者との比較で気にしてしまう人間は、私から言わせると、高知とか沖縄にいたほうが絶対に幸せですよ。

あとサラリーマンで無理して港区に住むのとかは全くお勧めできません。

子供ができたりすると、「身近な他者」はそこのエリアに住んでいる人間です。

小金持ちのサラリーマンは、港区の六本木・青山、代官山・中目黒でははっきり言って「下の上」くらいです。

そう考えると、「港区に住んでカースト下の上」より「埼玉北部に住んでカースト上の中」のほうが主観的な満足感は高いでしょう。

「1年に1回会う学生時代の友人」に見栄を張るより、身近な他者に劣等感を感じない方がプライオリティーは高いと思います。

僕の友人で大学受験の時に海外の大学を選んだやつがいましたが、こいつの言い分は凄く賢い。
「中央大学や明治大学に行ったら民間企業では一生スティグマだけど、アメリカの大学に行けば序列がよくわからなくなるからおいしい。」
彼は全く成績優秀ではなくて、東京の早稲田慶応を目指してましたが、ちょっと届きそうになかったんですよね。
でもそれで明治に行く位ならニューヨーク何とか大学に行くほうが良い選択だと思ったらしいです。

彼の土俵設定は巧みだったと思います。

そして今日本に帰ってきて活躍しています。

やはり、「身近な他者」との関係でフラストレーションがたまらないことが幸福に生きるための必要条件のように思います。