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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

意味のあるマウンティングと意味のないマウンティング

カーストマウンティング研究家の加藤です、おはようございます。

昨日、友人とマウンティングの定義についていろいろ語っていましたが、マウンティングの全てが悪いわけではなく、「いいマウンティング」と「悪いマウンティング」があるわけです。

そして大切なのは、マウンティングについて自覚をすることです。

先ほど何とかカレンダーでこんなことを言うキャリアウーマンがいました。

「私の周りには港区女子もいなければ、マウンティングするような人もいません。そういうのって正直くだらなくないですか?」

はい出ました。

マウンティングに対するマウンテンティング。(そして私はマウンティングに対するマウンティングに対するマウンティングw)

「マウンティングなんてくだらない」と一般女子を見下してマウンティングしてるわけです。

大切なのは、我々はどこまでいってもマウンティングから離れられない、という自覚を持つべきです。

Facebookの投稿やコメントなどは、すべて広い意味ではマウンティングです。

私の投稿もマウンティングです。

自覚が肝要です。

そして、「良いマウンティング」、「悪いマウンティング」というのがあるな、と私は最近思います。

「純粋に喜んでる自慢マウンティング」
「真理の探求を目指す議論における『俺の意見の方が優れてるんだぜ』マウンティング」
なんかは別にいいと思います。

最悪なのが、明らかに相手を見下すようないやらしいマウンティングです。

あと、「権威をちらつかせる」ようなあからさまじゃないマウンティングの方がかえっていやらしいということに気がつきました。

「私の慶応の後輩が」
「私の財務省時代の先輩が」

はい、出ました。

「不必要な固有名詞を出してさりげなく自慢マウンティング」。

女性のマウンティングがいやらしいのは、あからさまじゃないからですよね。

困ったフリをしてマウンティング。

「タワマンの38階だと震災でエレベーターが止まった時心配なの」etc

副詞節に自慢のネタを混ぜたマウンティング。

「私の家からだと中目黒近いので」etc

こんなのがうざいわけです。

マウンティングの類型についてでした。