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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

戦争とマウンティング・カースト

私はマウンティングやカーストといったライトでくだらないネタをたびたび投稿していますが、「人間」というものを深く考える上でマウンティングなりカーストは無視できないと思っています。

昔から私は「なんで戦争がなくならないのだろう」と素朴な疑問を抱き続けてきました。

戦争は国家と国家の戦いであり、一人一人の人間とは無縁かのように語られがちですが、やはり一人ひとりの「心の闇」が肥大化して集合したものが戦争なのではないかと思います。

スクールカースト差別も教室内で軽い気持ちで行われます。

私もサッカー部の人間ですから、文化部の地味キャラの生徒なんかをバスケ部のやつと共にちょっとイジったりしてましたけど、こういった軽い気持ちが大げさに言えば戦争につながるのかもしれません。

マウンティングに関しても、われわれは日常的にそして無意識に行っています。

そもそも何かを意見を言うということ自体がある種のマウンティングです。

「お前より俺の方が賢いんや」

そう無意識に思っているから、Facebookでも学会でも議論が起きてお互いしのぎを削っているわけです。

学問のような高尚な世界ですら「自分の優位性を他者に示したい、認めさせたい」というマウンティング的要素がかなりあると思います。

3.11の時、「反原発」の学者達が妙にうれしそうに語っていたのが今でも忘れられません。

本来であれば悲しむべきところですが、「ほら、いわんこっちゃないだろう」としたり顔で語っていました。

「長年冷や飯を食っていたけどやっと認められた、陽の目を見た。」

彼らが絶対認めない「本当の本音」です。

京大の小出さんなんかその典型でしょう。

表向きは「真理の探求」を目指す研究者ですら、やはり「認められたい」というモチベーションが相当強いと思います。(別に真理の探求という面がないわけじゃないですよ、ただ「純粋に」真理の探求を行ってるわけではないと言いたいだけです)

とある経済学者もある悲劇の時に、「ほら俺の予想が当たっただろう」としたり顔でしたが、結局経済をネタにしたマウンティングじゃないですか。

どれだけ高尚な人間でも、「他人が下であって欲しい、自分が上でありたい」というさもしい欲求が必ずあります。

そういったマウンティングが極地まで行くと、国際紛争や戦争に発展するのでしょう。

「私の論文が優れてる、彼の言っている事は間違っている」と主張する学者も、「私の彼氏はお医者さん」とマウンティングする港区女子も、根っこのモチベーションはあまり変わりません。

私が投稿をするモチベーションも大部分は、「カトハヤ、賢い!」、「カトハヤいいね!」、「カトハヤ巨根!」(関係ないか)と皆さんから拍手喝采されることを欲しているからでしょう。

「自分が他人より優れていたい」

皆さんの生きる根本のモチベーションはここでしょう。

そしてそういった人間の闘争本能が国家レベルに発展すると、戦争に発展するわけです。

小さなイジリも、小さなマウンティングも、決して戦争とは無縁ではないと私は思っています。

そう考えると、戦争を根絶するというのは、不可能とまでは言わないにせよ、非常に困難なタスクと言わざるをえません。

我々の小さな心の闇が全ての元凶なのですから。

「自然界の闘争本能剥き出しの世界と我々ホモサピエンスの「社会」は違う、我々には理性がある」という意見もありますが、食べるためじゃないのに殺し合いをするのは人間だけなんですよね。(この辺は「啓蒙の弁証法」(ベンジャミン)あたりに詳しいです)

むしろ言語を持ち、「わたし」、「あなた」という明確な境目持つ人間のほうがタチが悪いとすら言えそうですよ。