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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

身体性に根ざしたもの

「身体性」に根ざしたオス力というのは生物として無視できない存在です。

 
どれだけ社会的に成功した男性がFBで偉そうに何かを論じていても、リアルの世界で対面し、身長が低かったり極端にブサイクなら、心からの畏敬の念は生じません。
 
やはり人間は「感情の動物」で、いくら本で書いてあることや演説で語っていることが素晴らしいと「頭」でわかっていても、身長が低いのオスはどこか「感情」的に認められないのでしょう。
 
また、中高時代も、いくら勉強ができても体育の時間に冴えない生徒は、やはり100%の畏敬の念を周りの生徒から得ることはできません。
 
「運動ができない」というのは、やはりオスとして劣ってるとみなされるのでしょう。
 
やはり「身体性」なのです。
 
男性諸氏はペニスやセックスを褒められたことがあるかもしれませんが、ペニスやセックスを褒められることは本当に痛快ですよね。
 
車を褒められるとか社会的地位を褒められるとかそんなの比じゃないくらい嬉しいですよ。
 
これも「身体性」なんです。
 
英語にしても、外国人を交えて会話をして、たどたどしい英語しか話せなかったら、極端な話「それだけで」TOEICのスコアシートも学位証も水泡に帰するほどのインパクトがあります。
 
こないだ京大卒の友人と外国人と3人で英語で話しましたが、結構頭いいやつなんですけど、全然英語が話せないんですよね。
 
なんかこの瞬間だけこの友人が「とてつもなく無能な人間」に見えてしまいました。笑
 
英会話は「口から声を出す」という意味で「身体性」に根ざしているから、ここまで優越感と劣等感の温床になるのでしょう。
 
英会話は「勉強」ではないんです。
 
英字新聞が読めなくても、微分が理解できなくても、英会話でうろたえるほどの恥ずかしさはないと思うんですよね。
 
しかし、極端なことを言えば、日本人何人かで外国人を目の前にして英語を話す時に、おどおど英語をしゃべってうろたえているだけで、その瞬間にその場の「カースト最下位」が決定します。
 
やはり人間は「からだ」を持つ生物であり、そこに端を発するカースト意識というのは非常に根強いものがあるのでしょう。