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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

幸福感とはデフォルトや期待値との差異

私は常々申し上げていますが、幸福感とは、極めて主観的なものです。

高級車を乗り回したり、クルーザーを走らせたり、物質的な幸福感を手に入れても、主観的には不幸だったりします。

逆に家族とアパート暮らしでも毎日笑って幸せだったりします。

もちろん極端な例を持ち出して、「物質やお金は関係ない」などと極論を言うつもりはありません。

やはりそれらも一定程度重要です。

とは言え、それらが全てではないのも事実です。

やはり、最後は「自分の感じ方」でしょう。

私が最近つくづく思うのは

幸福感は、

「期待値からの乖離」

で主に決まります。

こないだ話しましたけど、いわゆるホワイトカラーのエリート的人間が必ずしも主観的には幸福でないのは、自分や周りの「期待値」が高いからです。

100を目指して80の人間より、60を目指して「たなぼた」的に80になった人間の方が主観的には幸福です。

東京の「マーチ」と呼ばれている大学(明治、青学etc)の出身者の男性が1番Facebookで出身大学を隠してる率が高いという面白い話を聞きましたが、これも理由は簡単です。

「そこそこインテリである(はず)の自分」という「期待値」のわりにアイコンが恥ずかしいから人に言いたくないんでしょう。

これが、そもそもあまり勉強していない女子大の女の子やスポーツ推薦で駒沢大学や帝京大学に進学した男子学生になると、「そこで勝負していない」=「期待値が高くない」だけに「大学なんてどうでもいい」のです。

港区女子の大半が不幸なのも、きらびやかな世界が目に入り、所得が高い男性などが自然に目に入ってきますから、「期待値」がどんどん上がるからです。

なのに実際結婚にまで至るケースはやはり稀有なので欲求不満になるのです。

新潟や高知あたりにいたら目に入ってこない世界が目に入ってくるから、不幸になるわけです。

期待値を上げないで、「普通」を上げすぎないほうが幸福感をより感じられるというのは皮肉なものです。