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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

電通問題とエリートの悲哀

ちょっとほとぼりが冷めましたが、例の電通の事件はちょっと示唆的でしたね。

「辛いならなぜやめないのか?」とよく言われますけど、これにはいわゆる勉強エリートの根深い問題があるように感じられます。

最近では特に中高一貫校が流行ってますけど、小学生位からエリート人生を歩んできた人間にとって、「所属のブランド」というのはその人のアイデンティティーなんですよね。

特に金銭的にも時間的にも、勉強に投資したリソースが多ければ多いほど、いわゆる「サンクコスト」の問題が生じます。

サンクコストとは「投入したリソースが多ければ多いほど引き返せない」という例のやつです。

「◯高に入ったんだから◯大くらいには、、、」

「◯大に入ったんだからこれぐらいの会社に」

「せっかくこれぐらいの会社に入ったのに辞めるわけにはいかない」

と、人生の選択肢がどんどんどんどん狭くなっているのです。

よく「一流大学に行けば人生の選択肢が広がる」などと言われますが、これは完全なるウソで、実は一流と言われてる組織に行けば行くほど、「〜なんだから◯◯思考」は加速します。

「俺の年収なら港区」
「俺の年収ならメルセデス」
「俺なら・・・」

一流の組織にいることにより「目線が上がる」メリットはたしかにありますが、それと引き換えに人生の選択肢はどんどん狭くなっているのです。

それも結局のところ、「サンクコスト」を気にしてしまうからでしょう。

「せっかく電通に入ったのにやめてしまったら親に申し訳ない」。

これが自殺した女の子の本音だと思います。

死ぬのが一番の親不孝だと思いますが、そんなことは頭では分かっていたのでしょうけれども、なかなかエリート人生を歩むとそこまで気楽になれないのでしょう。

「せっかく」という言葉は人生の選択肢を狭めるキーワードですね。

「せっかく医学部に入れたのに」
「せっかく投資銀行に入ったのに」
「せっかく商社に入ったのに」
etc

エリートほどお金や地位があっても不自由な存在はないかもしれません。(まぁ、だからといって世間的にくすぶってる人間がいいとも思いませんけど、、、 何がいいんだか、ですね)