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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

外国語を学ぶことの意味

2020年ぐらいから、小学生の英語必修化が始まるようですが、これに対しては根強い反対論もあります。

わりとありきたりですが、「外国語よりまず日本語」というチンポな、いや間違えました、陳腐な意見をよく聞きます。

しかし、冷静に考えてみたときに、「13歳(現行制度)から外国語を始めるべきであり、またそれが母国語の習得の妨げにならない絶妙ラインである」という科学的なエビデンスなんてないでしょう?
なぜ12歳じゃダメなのか?
むしろひょっとしたら15歳のほうがいいのではないか?
これまでの「英語は中学生から」というのは日本の学校教育が定めた基準であって、「たまたまキリが良かった」という恣意的な感じは否めません。
「100選」が「なぜ99でも101でもなくたまたま100なんだよ!」という胡散臭さを帯びているのに似ています。
どこまでいっても基準はかなり「恣意的」です。
また、そもそも「まずは日本語」という人は非常に強いドグマに毒されています。
そのドグマとは、「言語の習得には枠があり、その枠を外国語のために使ってしまうと、母国語の習得の妨げになる」というドグマです。
しかし、私の狭い経験から言わせてもらうと、外国語の習得によって私は日本語の能力が伸びました。
↓のような難解な英語を日本語に訳すトレーニングをすることにより、「英語も日本語も」相乗効果でできるようになった気がします。
「まずは母国語派」の方は、なぜか日本語と外国語を「二律背反」的に捉えているんですよね。
しかし、ゲーテも言ってますが、「母国語しか知らないものは言語を一つも知らないに等しい」のです。
「ハワイでのショッピングのための英会話」ならまだしも、硬質な評論文を英語で読解する営みは、必ずや母国語の涵養に寄与するでしょう。
小学生から英語を勉強することにより、日本語と英語を対比し、日本語という言語をより高いレベルで運用をすることができれば、まさに「一石二鳥」ではないでしょうか。